みなさん、こんにちは!のっちゃんです!
23歳で義弟と二人で塗装会社を立ち上げた村山さん。いや、村山社長。
世間では、23歳といえば大学を卒業して社会人1年目の年。
仕事さえできれば、会社経営できるっしょ!なんて甘っちょろい考えで独立した村山さんの塗装会社、そう簡単にうまくいくのでしょうか?
某有名大学の入学式の祝辞で上野千鶴子さんが言っていました。
”がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてくだい。”と。
最初の難関
今まで大嫌いだった勉強・努力を続けてきた村山さん。がんばればなんとかなると思っていたその努力は、なかなか報われなかったそうです。やはり人生は、そう甘くはなかったのです!!!
なんたって最初の悩みは「仕事がない!!!」
仕事できても仕事ないなんて、どうしようもない!
塗装会社で今まで実践を重ねて実力をつけてきた村山さん、それが活かせていたのは仕事する現場があったからなのです!
今までは、働いていた会社が実績と信頼を積み上げてきて、仕事を手にして、そして村山さんたちのような職人が現場を回していたのです。
それが、自分で会社を経営するとなると、自分で仕事をとってこなくてはダメなのです!
しかも、立ち上げたばかりの会社で実績もなく、社長はうら若き23歳の青年…。
うん、私でも普通に仕事お願いするのためらうわ。
そんなこんなで、村山さんに塗装人生初めてのピンチが訪れたのです。
どうするの村山社長?!
大ピンチ脱却!
仕事がない。信頼がない。家族はいるのに、金もない。どうしよう…。
そんな悩みを2週間ほど繰り返している時、最初の勤務先でお世話になっていたハウスメーカーの担当者さんとばったり鉢合わせした村山社長。
世間話をしたり、近況を話したりしていたら…ハウスメーカー担当者さんから神の一言が!
「うちの下請け会社にならない?」
村山さん、もってますね。確実にもってる側の人間ですね。
会社立ち上げて、悩んだのは2週間。
その後、某有名ハウスメーカーさんの下請け会社として会社がまわりはじめました。
下請け会社としてもらえる金額は決して多くはありませんでしたが、村山さん家族と義弟を養うのには十分な額でした。
そのため、某ハウスメーカーの下請け会社としてさらに知識や技術を増やしながら安定した収入を得る生活が7年続きました。
その間、村山さんには3人の子供にも恵まれて仕事も家庭も順調な人生を送っていました。
村山社長のジレンマ
安定した収入を得られる、下請け会社としての塗装仕事。しかし下請けを続けてきた村山さんには、実は大きなジレンマがありました。
それは、仕事はすべて大元のハウスメーカーの指示通りにやらなくてはならなくてはいけない!ということ。
今までの経験や知識から、「こっちの方がお客様にとって最良だろう!」と思っていても、その意見が通らないのです。
そして、下請け会社なのでそれをお客様に伝えることもできないこと。
お客様の本当に喜ぶ仕事がしたい!という思いが強くあった村山社長は、8年目にとうとう限界に達したのです。
今までの安定した収入の下請け業務を一切切り捨てて
お客様のことを第一に考えた塗装会社になろう!
と立ち上がったのです。それが、自分が一番やりたかったことだと気づいたのでした。
そこからは、村山塗装の第二ステージの始まりです。
努力が報われ始めた30歳
長年ハウスメーカーの下請け会社を続けていた村山塗装は、いつの間にか会社としての実績を重ね、村山社長の年齢もすでに30歳を超えていました。
気づけば、会社を立ち上げた頃の村山さんとは、段違いに信頼と実績がアップしていたのです。
そして、今までの村山社長の仕事ぶりをみていた知り合いの工務店や建設会社などから少しづつ仕事依頼がくるようになり、そこからさらに実績を重ねたことでホームページをからの依頼もどんどん増えてきたのです。
30歳を過ぎた頃、とうとう村山さんは、地道に下積み時代を送って頑張ってきた努力が報われ始めたのでした。